人間の「生き延び生き切る能力」とは一体何なのか?【藤森かよこ】
未来は3パーセントの有能な人間しか生き延びることはできないと恐れる必要はない
能力にはいろいろある。競争して測れない類の能力はいっぱいある。状況が無能さを強みにする場合もある。無能なので誰の脅威にもならないので安全だったということもある。あまりに無知だったので、世の中で何が起きているかわからず、ゆえに一喜一憂せずにすみ、心穏やかに暮らせたということもある。
競争社会だろうが、競争を否定する社会だろうが、私たちが明確に言語化できる能力だけで生き抜いてゆけるのだろうか。人間の能力とは何かについて説明するのは難しい。生き延び生き切っていく能力は、いったいどんな能力なのか、あなたはすべて列挙できるだろうか。私にはできない。
この点において、私はAIが人間を凌駕するという仮説を疑う。たとえば、生き延びる力があるという意味で有能な人間の有能さとは、どんな能力で構成されているかをAIが明らかにしようする。しかし、たぶん、正確な答えをAIは出せないと思う。
なぜならば、AIにデータを提供するのは人間だが、その人間自身が人間存在が生き延びることを可能にする人間の属性の全てを把握できていないのだから。その意味で人間がAIに提供できるデータは穴だらけで頼りにならないのだから。
たとえ、AIがディープラーニングで自ら学習し人間が用意したデータを必要としなくなっても、「勇敢でもなく強靭でもなく、兵器の取り扱い方もよく理解できていないし臆病で運動神経も勘も鈍いのに、部隊でただひとり生き残った兵士」の能力を明らかにすることはできないと思う。
そういう点が人間存在の面白いところだ。どんな能力が人間を活かすのか予測がつかないという人間存在のありようの理不尽さは、AIでは相手にできない。
■既成の概念から自分の能力に見切りをつけない
つまり、私が言いたいことは、自分の無能さに絶望する必要などないということだ。私たちは、私たちが意識もしていないし考えたこともないような(私たちに備わっているある種の)能力によって生きてきたし、生き抜いていけるのかもしれないのだから。
この世界において、一般的に能力とか有能さと呼ばれるものは既成の概念でしかない。あなた自身が自分の無能さの最たるものだと思っているあなたの属性が、あなたの最大の強みであるかもしれない。狭い視野で自分の能力を査定することはない。
さきに例にした10回(10年)以上不合格になっている医学部入試挑戦者も、15回目には合格するかもしれない。立派な医師になるかもしれない。学力以外の能力によって。そんなことはありえないと断言できるだろうか?
文:藤森かよこ